画像引用元:「地球の歩き方」
コーヒーの産地といえば、脳裏に浮かぶのはグアテマラやコスタリカやブラジルなどなんとなく中南米の地域、という方も多いのではないでしょうか。
実は、何十年も前から日本でもコーヒー作りが行われていることをご存じでしたか?
所説によると明治の時代、それは200年も前から始まっているとも言われていますのですが、そんな日本のコーヒー作りの歴史の中でも、37年という時をかけて、創り出した鹿児島県・奄美群島で奮闘する一人の農家さんのお話を紹介できればと思います。
舞台は、奄美群島の中でも中央に位置する離島「徳之島」
台風は多く、夏は暑すぎるものの中南米に比べると寒暖差は大きいその土地はコーヒー栽培に決して適している気候ではありませんでした。
なぜ、コーヒー栽培を始めようと思ったのか、その理由は「島への恩返し」だといいます。
元々ブラジルへいって熱帯地方の作物を育てたいという夢があったものの家族の反対もあった中、移住した先の徳之島で出会ったのは一本の「キャッサバ」でした。キャッサバといえば、メキシコやブラジルの国境あたりが原産地だと言われており、そのキャッサバが育つこの土地ならばコーヒーの木も育つかもしれない、そう思い立ちコーヒー栽培を始めました。
しかし、台風が多い土地ということもありコーヒー栽培を始めてから約10年後
ようやく育った木々も連続して降り立った3つの台風によりすべて倒されてしまいました。
現状を見かねて、何人もの仲間が離れる中、そんな時、助けてくれたのは移住先にも関わらず自分の子供のように面倒をみてくれた地元のおじいちゃんおばあちゃんでした。
その人情の厚さに心を打たれた彼は、島全体へ恩返しをするために何ができるのかと説いたとき新しい産業としてコーヒー栽培を発展させていくことでこの島に恩返しをしようそう心に決めたと言います。
しかし、決して優しいわけではないその生育環境。さらに木が育つまでの年月が必要ということもあり、通常の野菜や果物よりも更に辛抱強さが必要だといわれているコーヒー栽培をより一つの産業とさせるためあらゆる研究を重ねました。
そして、より多くの農家さんがコーヒー栽培だけで食べていけるようにとそれぞれが知恵を出し合って、徳之島にコーヒー栽培を定着させるための「徳之島コーヒー生産者会」を設立。
それは技術を独り占めするのではなく、規約を作って、お互いに研究しながら知識や技術をわけあう。
機械を持ってる人は貸し合うための生産社会で、高齢者も障害者も、分け隔てなく、「オール徳之島」でやっていくことが、コーヒー栽培が島の産業になり、みんなが幸せになる一番の近道になるそう思い、立ち上げたと言います。
地域が一丸となり、一つの産業を創り出す
技術を独占し、自分だけが得をすることは容易だったと思いますし、その技術を販売し、さらに収益を得ることも、想定していたでしょう。
ただ、それをせず、その地域のみんなで盛り上げることで島全体の産業を成立させようと奮闘する。その様はまさにこの今・風の時代に重要な「共創」を表しており、ただ独占することで得られる「幸せ」ではなく、人生を豊かにするためには何をするべきなのかそれをまさに教えてくれているのではないでしょうか。
Edit by Risa Takashima
引用記事元:https://tabi-labo.com/292577/japanese-coffee-tokunoshima-yoshitama