【千葉県香取市】をぶらり散策
江戸時代、徳川幕府は今の東京丸の内に江戸城を建設し、江戸の町を水運を通して発展させてきました。そのため、今でも東京には「橋」や「地」に関する地名が多く残っています。しかし、その江戸の町は干潟が多く作物をつくるのにはあまり適さなかったとか…。
そこで江戸の食どころを担っていた、今日の記事の中心地である千葉県香取市は【佐原地区】が登場してきます。千葉県香取市は利根川下流に位置し、昔から肥沃な土地が広がっていました。また水運町としても発展しており、米・雑穀・酒・味噌・醤油等の集積地であり、江戸への水運交通の要衝として栄華を極めていました。その繁栄ぶりや暮らしっぷりは、江戸をしのいでいるかの如く「江戸優り(えどまさり)」と云われるようになりました。
時を同じくして、現代でも(きっと後世にも)名を残す偉大な人物が、この佐原の町で育っていきます。はじめて日本全国地図を完成させた人物『伊能忠敬』です。彼がつくった日本地図は、衛星写真もなかった時代にも関わらず、現代の地図とほとんど寸分たがわずの地図だったと言われています。その地図を見た外国人が「こんな地図を書ける日本人が末恐ろしすぎる」と思い、日本侵略を断念したという逸話も残されています。
また、伊能忠敬のこのような話も地元では有名です。
時は1833〜1839年。冷害と大雨、暴風が日本全国で発生し大凶作。農作物の収穫高が大幅に落ち込み「天保の大飢饉」という日本史上最悪の飢饉に見舞われていました。しかし、佐原地区(伊能家)には、食料が貯蔵されており、飢えや病気に苦しむ地元民を無償で養っていたそうです。政府も、国も、藩も自分たちを守ってくれなかった時期に、唯一守ってくれた伊能忠敬。今でも佐原地区の人たちは彼のことを愛称で「ちゅうけいさん」と呼んでいます。この出来事から、佐原地区は自治意識が強まり、自分たちの伝統は自分で守る精神が根付いたと言われています。
(そのおかげか、佐原の大祭は関東三大祭りと言われています)
「江戸優り」と「強い自治意識」のまち、佐原地区は散策していると面白い建物がたくさんあります。
・忍者を隠すための隠す扉…?
・正面から見ると建物が大きく見えるような遠近法トリックの建物…?
・同じような屋号だけどよく見ると…?
・あれ、これは〇〇地域で見られるような信号…?
・地区の中心部に向かって道が…?
などなど、たくさんの面白い不思議が詰まっています。
東京から高速バスで90分、電車で約2時間の千葉県香取市「佐原」
是非、佐原地区を散策してみて上記の謎解きを楽しんでみてください。
少し足を伸ばすと日本三大神宮の「香取神宮」やCommunity Branding Japanを運営しているせんのみなとの古民家事業所、週末は首都圏の家族連れでにぎわう農園体験施設「TheFarm」など見どころ満載の千葉県香取市。
江戸優りの力を得るべく、ぜひ佐原の町並みでタイムスリップしに来てください♪
Edit by 長嶺将也
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